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〜トラウマのしっぽ〜

バッチフラワーレメディーの経過を綴っています。幾重にも塗り重ねられたドロを、お花のエネルギーで浄化して、持って生まれた魂の本質にもどりたい。生きやすさを感じられるように。

プライド捨てたら楽になった(笑)

新しいことに取り組む時、今までの私ならすごく緊張してドキドキして不安で心配ばかりしていたのですが、今は不思議なほど落ち着いています。



それは…


駄目だと判断されたら、元に戻されるだけだというある意味「開き直り」の気持ちがあって、周囲からどう思われようが私なりにやればいいと思ってるから。



出来ない奴、ダメな奴、遅い、トロい、色々思われてもいいと思えるようになったら、気持ちが軽くなった。
人からの評価を気にして、悪く思われないように頑張ることを辞めたらラクになった。



早い話が「プライド」だったのかも…



不要なプライド捨てたら、気持ちがとても穏やかになりピリピリしなくなった。
そういう意味では、見栄っ張りで良く見られたがり屋だったのかも、苦笑。
いま思うと恥ずかしいです😂
これはフラワーレメディー「オーク」の気づき↑。



人から良く思われたいという気持ちを捨てたら、他のことをする元気やヤル気が出てきたような気がします。
如何にして今まで「人目を気にしてたのか」を思い知ります。
「オーク」に、ありがとうですね。

私はモノじゃない「私物化しないで!」

フラワーレメディー「ロックウオーター」2日目。
心身共に軽さを感じて、思いついたら直ぐに動けるようになった。
これまではやることを後回しにして、やらなくても良いことをやって時間が過ぎていき、結局はどん詰まりになって「あ〜、もうこんな時間だ。やりたくないなぁ、やっぱり今日はやめよう。今度でイイや」の繰り返しだった。
で、そんな状態だとドンドン気が重くなり、何をするにも億劫になっていくのよね。



やらなきゃいけないこと、やっておいた方がいいこと、それが分かっているのに後回しにしていると、いつも心の中に残っていて気持ちが引っ張られてしまう(でも、やっぱり後回し、笑)。
究極は「やりたくない」んだよね。
「やりたくない」から、他のことして時間稼ぎしてるだけ、いくら時間稼ぎしてもいつかはやらなきゃいけないのに。



「やりたくない」には、ちゃんとした理由があるんじゃないかな?って、これを書きながら思った。
きっと他に、やりたいことがあるんだよ!
例えば眠くて本当は休みたいのに、ご飯を作らないとならない場面だと本心は「寝たい」んだよね。
部屋が汚れているのは分かっていても、掃除を後回しにする場面だと本心は何処か他にあるんだよね。



いま自分が一番望んでいること。
私…、自分にしてあげてなかった。
いや、したかったけれど、実際には「させて貰えなかった」と言った方が表現が良いかもしれない。
実家にいた頃を思いだす。



日常の何から何まで管理されて…
時間の使い方、行動…、すべて。
当時は分からなかったけど、いま思えばコントロールされていたんだと思う。
(好きにさせて←ココロの声)。



母からのコントロールに、私は早くこの家を出たい、自由になりたい、好きに過ごしたい、お願いだから(私の)心を自由にさせて、縛らないで、ことごとく感じた思い。
母の思うとうり動いて、母の思うとうりにしないとならないってことは、お母さんの気持ちを満足させて!と言ってるのと大差ない。
逆らうと、かなりしつこい。怒りだす。
面倒くさいから表面上は、言うことを聞いておく。



母の気持ちを満足させ、父の顔色を窺う暮らしは、ほとほと疲れてしまった。
自分の為にエネルギーを使う余力なんかない。
(このへんは↑「オーク」の気づきかもしれないけど)



あの頃の私が望んでいたことは、管理しないで欲しいということだった。
私が「今」こうしたいと思ってることを、させて欲しかった。
大それたことではなく、ほんの細やかな望みを叶えさせて欲しかった。
眠いから昼寝をするとか、そういう細やかなこと。



私物化してたんだろうな…
私は「モノ」じゃない。
私にだって意思はある。



猫や犬、動物にだって感情(気持ち)はあるんだよ。
人間ならなおのこと感情があるよ。



私は、「モノ」じゃない。



きっとうちの両親から見ると、(子供は)姿形は人間だけど「心など持ってない」かのように錯覚していたんだろうな。
そこが私からすると、私物化されてたような気になってしまう。

見放されたショック

ここ数年はアロマから離れていたのですが、急に思い立ちオイルを買ってきました。
で、選んだのはコチラ↓
生活の木 エッセンシャルオイル レモン 10ml
以前この香りを嗅いだ時、トイレの匂いを連想させる香りっぽくて嫌だったのだけど、今日は何故かスッキリして落ち着く香りだなぁと思いました。
はじめはユーカリを買うつもりだったのですが、やっぱりレモンを買って正解です。



帰宅してアロマテラピー事典を開いてみたら…
『レモン』の香りは、心を浄化して強い意志を与えると記載されてました。
本当は自分の気持ちに気付いているのに、怖さ、リスク、デメリットがネックとなっている。
本心に従えば、人生はもっと楽しくなるはずだと分かっているのに…
精油からのメッセージに、ドキッ!とした。
実は最近、ずっと考えていたことだったのです。



そして何故か泣きたい気持ちになってきて…
アロマテラピー事典をよくよく読んでみると、余計な感情がすべて浄化されてなくなっていくと書かれてた。
いゃあ〜アロマって侮れませんね、『レモン』の香りに吸い込まれるかのように買ってみたけど、今の心情にピッタリ当てはまる香りだったとは…
あ、だからアロマセラピーって言うんだろうね、笑!



フラワーレメディー「オーク」15日目。
誰も私になんか期待していないのに、自分が、自分に、期待していたのかもしれない。
いや…、本当は期待して欲しかったのか?
期待して欲しかったのにしてくれなかったから、じゃあ自分が自分に期待しよう。そう思ってたのか(?)。



もっと分かりやすく言うと期待して欲しかったのではなく、見捨てられ、呆れられ、期待外れだったと言わんばかりにガッカリされ、相手にもされず(無関心)、そういうことに本当はとても傷ついていたんだと気がついて、そしたら胸が急にザワザワして何かがいっぱいに溜まってきて、そのうち泣きたい気持ちになってきて、泣きたいんだけど泣けなくて、いま泣いたら号泣しそうでそれが怖くて泣けなくて、なんか知らんけどそんな気持ち。



で、誰が私にそういうことをしてたの?って。
直ぐに分かった。父だと。



(ごめん、、、今にも泣きそうだよ💧)



私は、人に見捨てられることが怖かった。
「あ〜、コイツは駄目な奴だよな」って思われたくなかった。
とにかく相手をガッカリさせたくなくて、ガッカリさせないようにしなきゃいけないって自分で自分にプレッシャーを掛けて頑張ることをしてきた。
ギブアップしたいのにしないでうんとうんと頑張っても、周囲は私の頑張りなんか誰も何とも思ってない(やって当たり前、好きでやってるんでしょみたいなかんじ)。
そこが腹立たしかった。
(いや…、それ当たり前ですから↑私が勝手に頑張って我慢してただけで、周囲は私になんか期待してませんから、笑)



なんでこんなに辛くても苦しくても我慢して頑張ってたんだ?って、やっと分かった。
父に見放されたことが、相当ショックだったんだ。
私が若い頃から感じていたのは、「見放されたくない」という思いだったんだけど、その全貌がここで明らかになった。



父に見放されて悲しかった、ショックだった、傷ついた、見返してやりたかった、復讐してやりたかった、憎んだ、恨んだ、馬鹿にした、哀れんだ、不幸になることを望んだ、、、、



けど、ここから先は今までのような頑張り方はしないと思う。
「しない」じゃなくて、「する必要がない」。
そして「できない」と思う。
気づけたから…



今日は次のレメディーを買いました。
「ロックウオーター」です。
(これじゃあスターオブベツレヘム買えば良かったか)

私のせいじやなかった

(忘れないうちに記録を綴っておく)


フラワーレメディー「オーク」。
信頼されるための頑張り。



信頼されたいから、信頼を裏切りたくないから、自分で自分にプレッシャーを掛けて頑張ることをしていた。
信頼されるための頑張りって、何だろ?
「このままの私じゃ信じて貰えてない」ということが前提の頑張り。
信用されてないんだというショック。



信用されてないということが、とっても屈辱的。
なんで信じてくれないの?
信じて貰えてないっていうことが、悔しかった。



頑張れば信じてくれるかも?って思ってたのかな?
それほど信用して欲しかった、と、いうことだ。



思いだすのは母のこと。
母は、私に不信感を持っていた。
けれど私にしたら、「自分の子供を信じられないなんて」と思ってた。
私のことを影猫だと罵り、親の目をかすめて悪巧みする子だと信じていた。



母は、不安だったのかも…
自分の子育てに疑心暗鬼だからこそ、「これでいいの?」と自問自答してたのか否か恐らくそこのところがネックになって不信感を募らせていたのかもしれない。
それは私の行いが原因ではなく、母自身の心の問題がそうさせていたんだと思う。



自分の子供すら、信用できない親。
親から、信じて貰えない子供。
どちらも不幸だ!
信じて貰えるように頑張るのではなく、信じられる心を持てるようになる方が先決だと思う。



(猜疑心の強さは、母譲り、笑)



人を信じること。
信じられる心を持つこと。
自分が、自分を、信じられないから、他人を信じることが出来ないんだよね。
それを自信がないと云うのか?
母は、文字どうり自信がなかったのだろう。
だから私のことも、信じられなかったんだ。



母の不信感は、私のせいじやなかったんだ。
私は、私に、原因があるのだろうなぁと思ってたけどそうじゃなかったんだ。



信じて貰いたいから頑張るなんて、信頼を得る為に頑張るなんて、前提がおかしい。
それじゃあ初めから、信用されてないということになる。
悪いこともしてないのに、企んでもいないのに、私が私で在ることの何が信じられないんだ?と、今なら母に言いたい。



私のせいじやなかったんだ。

直面する怖さ

フラワーレメディー「オーク」14日目。
夢を見た。



内容は割愛しますが、怖れが起因となって心の欲求に従うことが出来ずにいた。
開けたいのに開けれない扉、開けるための「鍵」がない。



開けれない扉は、もしかすると心なのかもしれないと思った。
心に鍵を掛けて開かないようにしてしまったのは、自分。
誰かが開けてくれるのを待ってるけれど、自分で鍵を探さなければ…



扉を開けなければ、着替えるに着替えれない夢だった。



(自分で、自分から、心を開かないと変われないってことだよな)



そこに入りたいのに入れない、そんな夢も見て思った。
怖くて怖くて不安でいっぱい、恐怖感でいっぱい。
私は、恐怖感から逃れたくて背中を向けてた。
怖さから逃げてばかりいたんだな…



心を開くのが怖いのかもしれない。



自分からは逃げられない。



怖さに直面することを避けてるのかな?
怖れと向き合うってことか…

我慢の限界

この前こんな記事を目にしました。
会社を辞めた理由は何?と訊かれて、その人はこう答えたそうだ。
頑張る人には頑張らせて、頑張らない人の分までも此方に頑張らせる、そういう会社の体質が嫌で退職したと。



うちの会社も↑そうなんだよね。
だから、頑張らない人はどこまで行っても頑張らない。
頑張らなくても何も言われないから、頑張らなくて良いもんだと思い込んでるから成長もしない。
そのツケは頑張る人間に回ってくる。頑張らない人間はどこまで行ってもラクしてる。
だから、頑張る人間はどこまで行っても頑張らざるを得なくて、頑張らない人間はどこまで行ってもラクチ〜ン♬なわけで、結局は頑張る人間が馬鹿を見る。

私も、そこに嫌気がさしてる😡

何の役にも立たないマイルール(それが苦しい)

仕事のこと。
異動しても、やっぱり今の部署から100%離れることが出来ない模様💦💦💦
結局は、どっちもこっちもみたいだ😨😨😨
良いこと言っておいて、結局はハメラレタ(と、思ってる)。
個人的には騙されさ気分。



本当なら、働かせてくれる場を与えて貰えてることに感謝しなくてはならないんだけど、我が先に立ち感謝できない自分になっている(不平不満)。
言い訳になるけど、裏を返せば「それだけ我慢してきた」ことの裏返し。



周りを見ていて思うんだけど、そんなに嫌そうじゃないんだよね(仕事していて)。
ガチガチにストレス溜まってるようにも見えないのよ。
同じ環境にいて、同じ仕事していて、この差は何だろ?って思う。
やっぱり私の捉え方、考え方、感じ方に問題があるんだろうね。



フラワーレメディー「オーク」13日目。
夢を見て、泣きながら目を覚ました。



内容はよく憶えてないけど、ハッと気付いたのは私って不安だったんだなって。
その不安をひた隠しにして頑張っていたんだと。



夢の中で、頼り甲斐のある男性と思わしき人が、私の背中を撫でてくれた時、それまで一人で堪え忍び、不安を打ち消すかのようにしていた気持ちがフッと溶けてしまい、涙がポロポロポロポロ溢れ出し嗚咽した。



(よっぽど不安に負けないように、一人で頑張ってきたんだな〜って思うと何とも言えない気分になった)



本当は誰かに頼りたかったし、助けても貰いたかった、それが出来なかったのはやはり家庭環境が大きな起因だと思ってる。



ふと母を思いだした。
母はきっと不安だったんだ…
その不安に潰されないように、必死で一人堪え忍んでたんだ。
そんな母を見ていて、私は側に近寄れなかった記憶があります。
側に寄ると追い払われ、私はいつもひとりぼっちだった(幼少期)。
負の連鎖なんですよね、母が苦しそうにしていると子供はそれを感じて近寄ることに遠慮しはじめ、そしてまた子供自身も一人で堪え忍ぶことを覚えてしまう。



私の中に、縛りがある。
マイルールのようなものかもしれない、それは昔々身に付けたもので、今は何の役にも立たなくなってしまったもの。
未だにそれを活用していて、自分で自分を苦しめてるような気もする。
縛りを解き、ふわっと楽になって、柔らかに生きて行きたいのにソレが出来なくて辛い。