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〜トラウマのしっぽ〜

バッチフラワーレメディーの経過を綴っています。幾重にも塗り重ねられたドロを、お花のエネルギーで浄化して、持って生まれた魂の本質にもどりたい。生きやすさを感じられるように。

絶対感

フラワーレメディー「スクレランサス」12日目。
おくびにも出さない。
腹の中で思っていることを、周囲に悟られないように振る舞う。
本心と周知されてる部分にズレがあり過ぎて、それが私を追い詰めてた。
周りを気にして「いい人」を演じ続け、そのうえ悪く思われたくないから本心と裏腹な言動を取り続ける、そのことがどれほど自分を苦しめてきたか。



腹ん中と表面化させる言動が、あまりにもチグハグ過ぎる。
うまく誤魔化せていると思っていたのは自分だけで、周囲にはバレバレだったかもしれないけれど、自分の中では外側と内側が辻褄が合っているようにしていたつもりだったのかもしれない(?)。
辻褄合わせに神経を遣い(外側と内側の)、現実を何とか過ごして行こうみたいな部分もあったかもしれない。
けど、心はいつだって葛藤と迷いの中にいた。



周囲に対しても自分に対しても、嘘をつき信頼してなかったんだなって、これを書きながら気づいた。
本音を明らかにするのが怖い。
本音を明かすと、弾かれたり、我儘だと思われたり、自己中だとか、嫌悪感を持たれはしないだろうかと怖くて反射的に取り繕ってしまう。



けど…
夫には何でも言うし、嫌われそうなことも言えるのに、なんで他ではチグハグさが目立つんだろ?
と、考えると、あることの違いに気がついた。
それは、こういう行動をとっても、こういうことを言っても、夫は絶対に私を見捨てはしないだろうという絶対感があることだ(腹の底から私を嫌うことはないという安心感や信頼感)。



絶対感がある、ない、その違いだけなんだ。
相手の人間性を信じることが出来て、信頼してるからこそ本音を明らかに出来る。
そんな絶対の信頼感なんだ。
それを思うと、私はやっぱり人を信じられず疑心暗鬼なんだなと思う。



人間が産まれてきて初めて会う相手は「母親」だ。
母子関係の何処かの段階で、私は母に対して疑念を持ったんだろうと思う。
乳幼児期に、母と子の信頼関係を結べなかったのかもしれない。
親を信じられないと、社会に出たとしても人間不信は引き摺るものだと思っている。
振り返れば小学生の時から、母のことを信じてはいなかった(疑いの目)。
そしてまた、母も私のことを信じてなかった。
どうしてうちの親は、子供を信じられないんだろう?と不思議だったし、我が子を信じられない親ってなんだろ?と感じてたことを思いだす。
ま、これは母子共にお互い様なんでしょうけどね。