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〜トラウマのしっぽ〜

バッチフラワーレメディーの経過を綴っています。幾重にも塗り重ねられたドロを、お花のエネルギーで浄化して、持って生まれた魂の本質にもどりたい。生きやすさを感じられるように。

人の気持ちってなんだろう?

フラワーレメディー「スクレランサス」14日目。
適応という言葉が相応しいのか否か、人や環境や状況を観察し過ぎているのか、こうなったらああしよう、ああなったらこうしよう、そんなふうに場面に応じて自分の身の振り方を合わせて行くというスタイルが良いのか悪いのか。
私は、そういうことが多かった。



自分の考えや気持ちと裏腹な流れになっても、そうやってカメレオンのように振る舞うことに抵抗感もあったし、葛藤もあった。
その結果、不満タラタラで怒りも湧いてきた。
だったら自分の思うとうりにしたら良いのに、それをする勇気もなく躊躇われた。
それがストレスの元だったのかもしれないけど。



周りの状況や人間のことを考慮すると、どうしても答えが出せない。
人の気持ちばかりに眼を向けて、許される程度の答えを出そうと妥協する癖は子供時代からだ。
それは私の本意ではなく、丸くおさめるための妥協策だった。
揉めることなく嫌な気分を味わせることなく、私自身を守るためでもある中間をとる答。



それをしようとするから、出せる答も出せなくなる。
何に気を遣って遠慮しているのか…
欲しいものを欲しいと言わず(言えず)、「これでいい」と大した欲しくもないものを受け取る癖。
私が欲しいのは、この程度のものじゃない!本当に欲しいのはこっち!とは言えず、「いいよ」と貰っても嬉しくないものを手にする(う〜ん、なんか気持ちがモヤモヤするなぁ…)。



納得してそれを手にしたわけじゃないから、いつまでも引っ掛かる。
満足できていない。



(これを書きながら、父の顔が浮かぶ)



怒られない程度の答えを出そう。
攻撃されない程度の答えを出そう。
脅されない程度の答えを出そう。
許される程度の答えを出そう。
反対されない程度の答えを出そう。



そうやって父の顔色を窺いつつ、いつもいつも妥協案を考えた。
怒られてもいい、攻撃されてもいい、脅されてもいい、許して貰えなくてもいい、反対されてもいい、そう腹を括れていたら良かったのだけど、私には父を説得する力も術も持ち合わせてなかったし、何しろ父が怖かったから従うことしか出来なかった。



今まで、どうして私は腹を括って挑めないのかと自分に苛立ちを覚えてたし、その壁を超えるための勇気が持てないのかとジレンマだった。
もう、父の顔色を窺う必要もないのに…



欲しいものを手にするのに、妥協する必要なんかないのよね。
躊躇うこともないのよね。
欲しいものを欲しいと言わないから(言えない)、与えられたもので何とかするしかなくなるんだね。
自己主張が弱いんだ。
「これで我慢しなさい」と言われたら、納得してなくても受け取るしかなかった子供時代の延長線に居る。
与えられたものを拒否すると、「我儘だ」と言って怒りだす、それが嫌だった。
いま思えば、私の我儘ではない。
欲しくもないものを無理くり与え、それを受け取らないと怒りだすなんて人の気持ちを考えない邪悪な人間のすることだ。
それに、マンマとはまってたんだよな💦💦💦



相手の気持ちを考えるよりも、先ずは自分の気持ちを優先する親を見てきてるから、「私は、親のような人間にはなりたくない」そう思ってきた。
けど、時には自分を優先しないと決められないのかもしれない。
「スクレランサス」の指針は「決断力」だもんな。